シェアする

【74′log移植】マニアック路線の始まり 1986オメガトライブ

The following two tabs change content below.
HIRO-M@YJC

HIRO-M@YJC

◆◆HIRO-M◆◆ --- YJCダンススタジオ コレオグラファー兼ダンサー兼キーボーディスト 特に理由なくKORG一筋 KROSS2、i3、Monologue、Microkorg XL+等 / リクガメ&フトアゴ愛好  ◆◆おれんじゃー◆◆ --- 愛機はオレンジ色のPENTAX K-30 & ガンメタのK-3

今となっては誇らしいマニアック趣味であるが…
ついこの間まで、猛烈に恥ずかしかった過去がある。

「1986オメガトライブ」(のちにカルロストシキ&オメガトライブ)が大好きだったのだ。

あ、でも、まだなんか恥ずかしい…。

小学校6年~中1にかけて。
周りの殆どの男子は「ボウイ」(書けない)に夢中になっていた。
みんなして「ヒムロ」がどうとか、「ホテイ」がどうとか。
おれは興味を持たなかったどころか、無意識に拒否しているフシさえあった。
数年後「どっちがヒムロで、どっちがコムロか」を悩むことになるし、
「ホテイ」と言えば、ギター弾く大男よりもむしろ

金魚のおともであるコイツを先に思い浮かべるほどだった。

周りの男子とは全くの別路線を求めたおれは、
自分の中で安全地帯との激しいデッドヒートを制した1986オメガトライブ
お気に入りアーティストと定めることにしたのである。
「ないんてぃーんえいてぃしっくすおめがとらいぶ」という長すぎる名前にもシビれたが
一番の決め手はこのカジキマグロだったと言ってもいいかも知れない。

幼い頃から「魚図鑑」が愛読書だったこともあり、このロゴに激しくシビれた。

女子にはチラホラ聴いてるのがいたみたいだが、男子にはほぼ皆無だった。

肝心の音楽。
最初に聴いたのは「Navigator」という1stアルバムだった。
良くも悪くも自己主張の無い歌声と、タイトル曲「Navigator」後半の英語発音にやられた。


(Youtube 「Navigator」)

テキトーに決めた割には、音楽的にも自分にジャストミートだ!と思った。

そう、テレビの音楽番組を観るまでは…。

トップテンだか、ベストテンだか…そこで初めて観た1986オメガトライブ。
ヤクザみたいなおっさんと、その弟みたいのと、優男と、かるろす。
妙な組み合わせに胸は高鳴り… そしていざ歌のスタンバイ…
いかにも夏っぽいセットで「SUPER CHANCE」のイントロがスタート…
(思えば、1986オメガトライブにいきながら
デビュー曲かつ最大のヒット曲である「君は1000%」を外したあたりも
マニアック路線に拍車をかけることになったのだと思う。)
ヴォーカル・かるろすが変なステップを踏みながら歌い始める…

あれ?下手じゃね?

CD音源も声の透明感だけで大して上手くは無かったけど
それからもかけ離れたくぐもった声に愕然とした。

しかし、もう後には引けない。

かるろすは地球の反対側から日本に来たばかり。
日本語がうまくなれば、もうちょっとは聴けるようになるだろう。
変なステップも、落ち着きなくマイクを持ち替える癖も、
まぁ味があるじゃないか。
…と自分に言い聞かせ、1986オメガトライブファンを必死で続けた。

「青春1000%」というどうしようもないタイトルのラジオ番組も欠かさず聴いた。
まったく盛り上がりに欠ける内容だったけど、必ず聴いた。
その前のシブガキ隊の番組からスタンバイして聴いた。

しかし…

3rd 「Cosmic Love」
4th 「Miss Lonely Eyes」
5th 「Stay Girl Stay Pure」

サウンドはどんどん都会的でカッコ良くなっていくのに対し、
かるろすの歌がいつになっても上手くならない…。


「Cosmic Love」


「Stay Girl Stay Pure」※完全なる口パクである。

6th・「Miss Lonely Eyes」に至っては

~ぜの色も~ わってくね~♪」

てな具合に、なんだかズーズー弁みたいになってしまったのである。

ある時、「笑っていいとも」にかるろすが出演し、衝撃の事実を知る。

「ブラジルののど自慢大会で優勝して、日本に来た」
「歌ったのは『小鹿のバンビ』」

…そう。プロのヴォーカリストとして期待する方が間違っていたのだ。

ちなみにこの時、かるろすは

「ブラジルでも日本の歌謡曲を聴いていた。三船敏郎さんとか…」

というビックリ発言をしている。三船敏郎が…歌謡曲!?
真相は「“三波春夫”と間違えた」というものなのだが、
かるろすの歌を聴いていると、
「もしかしたら、本当に三船敏郎の鼻歌とかを聴いていたのでは?」
という気もしてきた。

そして、いつしか。
この歌のヘタクソさもかるろすの魅力だと思うようになっていった。

そして、おれ自身
「TV番組で生歌を歌うかるろす」のモノマネが妙にうまくなってしまい、
二度と抜けだせないオメガトライブの世界に引きずり込まれることになったのだ。
これにて、「マニアック路線」、「ショボいの好き」という個性が確立したのである。

後にかるろす達はとんでもない迷走をしておれを困らせることになる。
それはまた別記事にて。

シェアする

フォローお願いします

コメント

  1. […] 盤となった 1986オメガトライブに大きな転機が訪れた。 前記事:「マニアック路線の始まり 1986オメガトライブ」 ヤクザみたいなおっさんが脱退することになったのである。 […]

  2. […] せっかくだから、人気記事、お暇でしたら読んでください。 【74′log移植】マニアック路線の始まり 1986オメガトライブ […]